時代背景 ピアノ協奏曲全4曲



ショパンは生涯のうちに4曲ピアノ協奏曲を作曲しました。そのうち2曲は出版され1番ホ短調、2番ヘ短調として今日も親しまれています。この2曲を作曲後、ハ長調の協奏曲も構想されたようですが未完に終わり、後に「演奏会用アレグロイ長調 作品46」として出版されました。

1829年:ピアノ協奏曲ヘ短調 Op.21(1836年出版、シュレサンジェ社)
1830年:ピアノ協奏曲ホ短調 Op.11(1833年出版、シュレサンジェ社)
1841年:演奏会用アレグロイ長調 Op.46(1841年出版、シュレサンジェ社)

この他にもう一曲、1959年にオークションに出された作品があるようですが詳細は不明です。
4.調性不明(Marie de Roziéresのために、詳細不明)

ショパンのピアノ協奏曲といえば、管弦楽パートに問題があるとよく言われますが、なかには親の敵のように言う人もいて正直、耳にタコかと思います。大体、そういうことを言う人に「何楽章の何小節目のどのパートがマズイと思うのか?」と尋ねても「ブラームスの協奏曲とくらべて」とか「リストの管弦楽作品は」などと的はずれな回答が返ってきたりして困ってしまいます。こちらとしては管弦楽の書法としてマズイ箇所をあげて欲しいのに、具体的な答えを出す人はいません。ただ、一番問題なのは「ショパンはピアノの人だから」と場を濁して逃げようとする人も多いということです。お互いがこれでは建設的な意見などでるはずもなく、討論する機会も与えられず〈欠陥〉の烙印を押されてしまったまま自称愛好家からも、そうでない人たちからも放置されているのがショパンのピアノ協奏曲です。まともに聴こうともしない似非評論家に好き勝手言われたままでは悔しいので、時代背景、歴史にみる成立事情、作品分析と少し長いですが3つに分けて書いてみたいと思います。

ショパンが受けた教育
ショパンは音楽学院の2年のときに管弦楽法を学びました。1827年、17歳の時です。授業の内容としては「様々な楽器を用いての楽譜の書き方」を学んだと言われています。作品2のピアノと管弦楽のための変奏曲はこのときの成果だともいわれています。3年の授業では、実技として本格的な作曲に入りますが、うまくいかないとエルスナーに相談していたようです。学校から出されている課題にもかかわらず、純然たる管弦楽作品を一つも作曲せずに、ピアノに対する伴奏の形で許されたのはエルスナーのはからいだとも言われています。管弦楽伴奏付きの作品が十代後半に集中しているのは音楽院の授業の影響が大きいでしょう。

伝記に残るエピソード
ショパンの管弦楽に問題があったというエピソードは伝記の中にも残されています。1829年8月11日、ウィーンでの演奏会前のリハーサルでのことです。この日ショパンは、作品2の「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノによる変奏曲」と共に、やはり管弦楽を伴う「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」を演奏する予定でいました。ところがリハーサルの最中にオーケストラの団員たちから楽譜に対してクレームが出てしまったのです。結局「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」は演目から外し、即興演奏に変更されました。
何がマズかったのかについては「休符を2個付けているところを一回で指揮しようとした(ウィエルジンスキ)」「楽員が格下であるヴュルフェルが指揮するのを気に入らなかった」「楽員が新しい作品を弾くのに難色を示した」などなどいろいろと言われていますが、ショパン自身は家族に宛てた手紙で、自分が乱暴に書いた楽譜を楽員たちが読めなかったのだと弁解しています。

室内楽版について
一頃、ショパンの協奏曲の室内楽版というのが話題になりました。ただ、その編曲は四重奏であったり五重奏であったり様々で、室内楽に編曲した自筆譜は見つかっていないため「出版された=ショパンの最終的な意向」ではないかと憶測した人も多かったのではないでしょうか。Kistner社から出版された楽譜が残っているとのことでしたが、そもそも19世紀初頭は一つの曲が様々な編成で出版されること自体は珍しくもなんともなく、作曲家自身が編曲するというよりは出版社が売れそうな編成を考えて勝手に編曲して出すなどということも普通におこなわれていました。事実、そのような例は古典派の作曲家の出版譜を見ればいくらでも出てきます。第三者が編曲したものが評価された珍しい例です。

同時代の優れた作品について
ショパンと同じ時代に活躍した作曲家の作品で、特に管弦楽法が優れている作品といえばベルリオーズの「幻想交響曲 作品14」があります。この作品は1830年、ベルリオーズが26歳の時に作曲されました。各楽章に標題を持つこの作品は、前時代までの「音楽」の持つ表現の路線を一変しただけでなく、その表現を支える各楽器の用法の随所に革新的な要素が盛り込まれました。作曲家としてのスタイル云々は抜きにして、同じ時期に作曲されたこの作品とショパンの協奏曲の管弦楽法を比較されたら見劣りするのは事実です。やはり同じ時期に作曲されたメンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲ト短調 作品25」もシンプルな2管編成です。こういった時代背景を考えるとベルリオーズがいかに天才だったかがよく分かるでしょう。

GRAND CONCERTO pour le PIANOFORTE Op.11
GRAND CONCERTO pour le PIANOFORTE Op.11 F.Kistner.1877年
キストナー社から出版されたピアノ協奏曲ホ短調のピアノ独奏版です。現在普及している2台のピアノ用編曲ではなく、1台ピアノ用編曲となっています。

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ピアノの詩人ショパンの文献目録です。ショパンに関する書籍を著者名、出版社名、発行日、ページ数とまとめて紹介しています。また海外の珍しい古書や楽譜なども紹介しています。