歴史にみる成立事情 ピアノ協奏曲全4曲



指揮者の改訂版について
ショパンの協奏曲は世界中の有名な指揮者、有名なオーケストラが演目として取り上げていますが、管弦楽パートが変というのであれば、有名な指揮者、オーケストラは「変な曲」をわざわざ金を払わせて提供してきたことになります。これはよくよく考えると変な話です。
ショパンの協奏曲には指揮者やピアニストが校訂・改訂した「版」と呼ばれるものがあります。有名なところではタウジヒやクリントヴォルト、他にもリーズ、エルラー、ミュンハイマー、ブルクマイスター、日本人では近衛版などがそうです。ただ、これは音源や話が残されているというだけで実体がよく分かりません。楽譜は校訂者の名前を冠して「○○○版」と呼ぶことがありますが、この音楽家たちの改訂した楽譜は現在、ほとんど見ることはありません。一体何をどう変えたのでしょうか。
指揮者が楽譜に手を入れるというのはよく聞く話ですが、大きく分けて次の二つの理由が考えられます。1.作品として足りない部分に補筆、加筆する。または誤りを訂正する。2.経費や団員の不足など諸事情によりやむなく変更をする。この2の場合はなんとなく事情も分かりそうですが、1の理由には問題が含まれているようにも思えます。

改変の歴史
指揮者が作品に手を加えるというのはショパンに限ったことではありません。ベートーヴェンだって散々手を加えられてますが、ショパンだけが管弦楽パートが悪いから手を加えられているように思われているのであれば、それは納得するわけにはいきません。それはさておき、指揮者が手を加えた有名な例としてはベートーヴェンの第九があげられるでしょう。過去、難解な大曲であった第九はワーグナーが手を加えて、はじめて今日の聴ける形になったとまで言われています。詳しくは武川寛海さんの書かれた『第九のすべて』に書かれていますのでここでは割愛しますが、ワーグナーは第九演奏に関する論文まで用意し、かなり細かく手を加えたようです。その後も歴史に名を残すような有名な指揮者たちはこぞって第九に手を加えていきます。十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけては、第九に限らず指揮者が作品に手を加えるのは当たり前で、それができなきゃ指揮者じゃねぇよといった風潮まであったようにも思われます。演奏会を成功させるには客を呼ばなければなりません。客を呼ぶには話題が必要です。有名なソリストとの共演は大きな話題になります。良識のあるピアニストであれば当然ショパンの作品を選ぶでしょう。こういった風潮の中、指揮者はショパンの作品にも、当然のごとく手を加えていったのです。

ここで、作品に手を加えることが当然であったことを裏付ける記事を引用してみましょう。昭和29年4月に発行された『レコード藝術』(第3巻 第4号)に書かれているブライロフスキーの録音した(スタインベルグ指揮)協奏曲ホ短調のSP評で村田武雄さんはこう書かれています「然し、どうしたことか第一楽章の二十五小節から百二十一小節まで前奏の部分を省略しているのが残念だ。いかに管弦楽部が貧弱なので他人が手を入れるのが習慣となっているにしても、勝手に削ってしまうのはひどすぎるね。・・・」
これは、SP時代の録音時間の制限による編曲・改訂、抜粋の「習慣」がその後登場する電気録音の時代まで引き継がれたと考えられないでしょうか。いずれにせよ、ここに書かれている通り作品に手を加えることは当時既に「習慣」となっていたというこが分かります。

黎明の響き
我が国、日本のオーケストラの歴史において、近衛秀麿の名前は最初に出てもおかしくありません。簡単に人物紹介するとN響を作った人なのですが、その音楽家としての影響力は今日の日本の楽壇においても甚大で、我々も知らず知らずのうちに恩恵を被ってることが多々あることかと思われます。本当はよくわかりません。ショパンのホ短調の協奏曲にも近衛版というのがあるそうですが、これは楽譜も音源も残っておらず、改訂したという話だけが語り継がれているものです。これに関しては先般お亡くなりになられた秀麿氏の御子息である近衛秀健氏がこう語ったと言われています。
「近衛秀麿は、リハーサルの途中、少しでも気に入らないところがあると、すぐにその場で変えてしまい、その変更も毎回異なっていた。いわゆる「近衛版」という譜面が現在残っているわけではない」

指揮者が作品に手を加える2.の理由について少し補足しておきます。近代化が進むにつれ、ホールも大きくなり、集客数も増えました。オーケストラの編成は基本的には変わらないにしても、楽器、特にピアノはソロ楽器として大きなホールでも響くように改良されてきたのは周知の事実です。オーケストラに合わせてピアニストが小さな音で弾くことはないにしても、バランスをとるためにピアノに合わせてオーケストレーションに手を加えるというのはあり得る話ではないでしょうか。

以上の話を総合すると、作品の本質的な問題点とは異なる次元で改変は行われてきたことが分かるかと思います。著名な作曲家だから問題点があったとしても、研究家からも大目にみてこられたのだというのは〈イメージ〉でしかないようです。ただこれを強く訴えたところで意味はないでしょう。バカな評論家はきっとこう言うに決まっているからです「要するに面白くもなんともない作品なんだろう」と。

Concert-Allegro Op.46 EDWIN F.KALMUS
Concert-Allegro Op.46 EDWIN F.KALMUS
カルマス社から出ている「演奏会用アレグロ」のピアノ協奏曲編曲版パート譜です。フル・スコアは無くパート譜は全部揃っているのですが、肝心のピアノパートがございません。問い合わせてますが返事もございません。

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