ポーランドの魂 ポロネーズ全25曲



ポーランドの舞曲、勇壮なリズム、民族精神、男性的、愛国心、ポーランドの魂・・・ポロネーズについて調べると、大体こういう言葉にいきあたります。まさにその通りで、他に言うことが思いつかないほど語り尽くされた感があります。ただ、どうしても何となくしっくりこない。しっくりこないのでまた調べる。調べれば調べるほどいったい自分がポロネーズについて何を知りたいのかも分からなくなってくる始末。ここはひとつ頭を冷やして整理してみることにしました。

まずポロネーズと対で語られることの多いマズルカ。これもポーランドの舞曲ですが、ショパンが作曲したマズルカの作品数に対してポロネーズの数は少ない。圧倒的に少ない。・・・何で?ピアノ独奏作品として発表されたのも意外なほど遅く、作品番号にして26番目、その前にはマズルカはもちろん、協奏曲、ソナタ、エチュード、ノクターン、バラード、スケルツォ、ボレロにロンドとあらゆる楽曲が出尽くした後の出版となっています。これは「満を持す」なのかそれとも「仕方なく」なのでしょうか。作品26のポロネーズの発表をワルシャワ陥落と関係していると考えてみる人もいるようですが、何か時期的におかしくないでしょうか?ワルシャワ陥落の報を受けて「いつかは我がポロネーズでポーランド人の誇りと魂を・・・」と密かに心の中で思っていた。確かにありえそうな話ですが作品が発表された当時、ピアノの授業と出版で生計を立てていた、まさにノリにノッてたその時期に、そういった気持ちで作品が発表されるというのは少し突飛な気がします。

作品の内容や出版の時期、考えれば考えるほど訳の分からないポロネーズですが、あえて誤解を恐れずに言うなら、ショパンはポロネーズを嫌っていた。かもしれない。ということです。ショパンが公式なコンサートで自作のポロネーズを演奏した記録は少なく*、1835年4月26日パリのコンセルヴァトワール・ホールで開かれたコンサートでアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズをオーケストラの伴奏付きで初演したというプログラムが唯一確かな記録として残されています。このとき観客は大絶賛したそうですが、当のショパンは演奏直後、呆然としていたそうです。一体何があったのでしょう?その後ショパンは公の場で「アンダンテ・スピアナート」だけを弾き、ポロネーズを弾くことはありませんでした。この不可解なショパンの心境を探る上で、一つの鍵になりそうな逸話が残されています。ウィリアム・アトウッドが書いた『ピアニスト・ショパン』の中に、1818年秋、ロシアの皇太后マリア・テオドローヴァの前で演奏を行い、書き上げたばかりのポロネーズを2つ献呈したと書かれています。このとき何を演奏したかは書かれていませんが、献呈した作品を弾いたであろうということは想像に難くありません。ポロネーズがポーランド人の魂であるならば、その魂をロシアの皇太后に捧げたショパン。幼い無邪気な心は、政治的な理由により大人たちに都合のいいように利用された・・・17年後のショパンは絶賛する聴衆を前に一体何を思っていたのでしょう。

ショパンが作曲したポロネーズは話だけが残っているものも含めて全部で25曲確認されています。その内、番号付きのものは生前に出版された7曲。これに、
Op.71(初版:1871,A.M.Schlesinger)
8.ニ短調(作曲年:1825or1827、自筆譜:紛失、ニコラスショパンの写しがワルシャワ・ショパン協会蔵)
9.変ロ長調(作曲年:1828、自筆譜:紛失、イエンジェイェヴィチョーヴァの写本[1045]ワルシャワ・ショパン協会蔵)
10.ヘ短調(作曲年:1828or1829、自筆譜:紛失、初稿など色々あるようですがイエンジェイェヴィチョーヴァの写しがワルシャワ・ショパン協会蔵となっています) 作品番号無し:
11.ト短調:ヴィクトワール・スカルベックのために(作曲年:1817、初版:1817,ksi?dz J.J.Cybulski、自筆譜:紛失)
12.変ロ長調(作曲年:1817、初版:1947,S.A.Krzyanowski、自筆譜:紛失)
13.変イ長調:ジヴニィへ(作曲年:1821年4月23日、初版:1902,Gebethner i Wolff、自筆譜:ワルシャワ音楽協会蔵)
14.嬰ト短調:マダム・デュポンへ(作曲年:1822or1824、初版:1864,J.Kaufmann、自筆譜:紛失)
15.変ロ短調[ロッシーニのオペラ"La gazza ladra"のテーマより]:コルベルクへ(作曲年:1826、初版:1881,Echo Muzyczne、自筆譜:不明)
16.変ト長調(作曲年:1828or1829、初版:1870,J.Kaufmann、自筆譜:不明)
の9曲を加えた合計16曲が現在、ポロネーズ集として一般的です。楽譜は全てパデレフスキ版に収録。他にOp.3の(ピアノとチェロのための)序奏と華麗なるポロネーズハ長調、Op.22のアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調があります。

残り7曲の内訳:
19.ロッシーニとスポンティーニの主題によるポロネーズ変ロ短調(作曲年:1825年11月のヤン・ビアウォブォツキ宛ての手紙に書かれている、自筆譜:紛失)
20.調生不明(作曲年:1831年7月、カラソフスキーが編纂した家族宛の手紙に書かれている。「僕はウュールフェルさんと一緒に此処を去らなければなりませんので、ポロネーズを一つ書きました。」自筆譜等詳細不明)
21.調生不明:ルドヴィカの結婚のために(作曲年:1832年9月10日付けカラサンティ宛ての手紙に書かれている。自筆譜:不明)
22.調性不明(M.A.Szulcaの伝記に書かれているようです。詳細未確認)
23.調性不明:若い頃のアルバム(1911年にペテルスブルグで発表されたアレクサンドラ・コピティアイェヴァの論文に書かれているそうです。詳細未確認)
24.二つのポロネーズ:調生不明(作曲年:1818年10月6日、ワルシャワのリツェウムで演奏された?ようですが詳細等不明)
25.二つのポロネーズ:調生不明(作曲年:1818年10月6日、ワルシャワのリツェウムで演奏された?ようですが詳細等不明)

*この他に1832年2月26日にカルクブレンナー作曲の「大ポロネーズ」を複数人と演奏。1838年3月11日ルーアンでのコンサートでホ短調の協奏曲と共に作品22を弾いたかもしれないとされています(以上、JEAN-JACQUES EIGELDINGER『L’univers musical de CHOPIN』2000より)。1841年パリのプレイエルホールで演奏した可能性も指摘されていますが「ポロネーズを弾いた」と書かれた評論が1つ残っているだけで、それが作品40・イ長調であるという確証はなく根拠についても分かりません。

EDITION・NATIONAL・FRANCAISE POLONAISES
EDITION・NATIONAL・FRANCAISE POLONAISES/HENRY・LEMOINE/1915
フランスの超老舗アンリ・ルモワンヌから出ていたポロネーズ集です。表紙だけでは一見何の変哲もないように見えますが、一般的なポロネーズ集と違う点はOp.3のソロ版が含まれているということです。出典の経緯について詳細は不明ですが、1840年にWesselから発売されている曲集にも、やはりOp.3のピアノソロ版が含まれています。ちなみに校訂者のLouis Diemerはリストの弟子でコルトーにピアノを教えています。

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